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ライフ イズ ビューティフル

ライフ・イズ・ビューティフル

今まで観るチャンスが何度かありながら、観ていなかった作品。
ロベルト・ベニーニが、監督・脚本・主演。
なんていったらいいんでしょうね。これは、戦争映画じゃありません。
舞台は第二次大戦下のイタリアですが、お話は童話に近いのです。
子どもにとっての、リアルファンタジーといってもいいかもしれない。
歴史公証や、収容所の背景などの甘さが目に付く人は、この映画を「戦争映画」として位置付けようとしているからそんなことを感じるのではないでしょうか。
前半はとても大らかで幸せな情景が描かれます。
イタリア人全開なユーモアと(日本人にはクドいくらいの(笑))愛情。
ドーラに恋をしたグイドの天真爛漫さはそりゃもうハデハデ。
ハリウッドのハンサムな俳優が真似しようと思っても出来ないだろうというほど(笑)
そして、戦争の影がちらつくなか、息子のジョズエが生まれます。
後半は、前半とは打って変って過酷な状況下(収容所)へ。それでもそれらの情景はグイドの愛のある瞳を通して映されるのですね。
だから、その愛の隙間からのぞく戦争の狂気や過酷さがいっそう生々しく感じられます。
「戦場のピアニスト」のように、淡々と恐ろしい光景が続くのではないのに、同じ狂気を感じることが出来ます。


ジョズエが「ゲーム」に疑問を抱いた時にグイドが「人間が石鹸やボタンになったり、薪代わりに燃やされるなんてバカバカしい話があるわけないじゃないか」と言うシーンがあります。
ユーモアたっぷりに息子に応えるグイドの台詞がすごく胸にきました。
そんな、バカバカしくも恐ろしいことが現実にあったことを知っているから。
後半からラストにかけてのグイドの行動は「勇敢」とかそんな言葉じゃ語れないです。
確かに、勇敢だけど、彼は勇気を振り絞ってとか勇気を出して行動したんじゃない。
きっと、妻や子どものために勝手に身体が動いたんじゃないかと。
ドーラに恋をしたときのように。
ラスト近くのグイドがおどけた兵隊歩きをするシーンは映画史に残る名シーンだと思います。
こうやって書いてる今も涙ぼろぼろです。
戦争が舞台や題材になっている話というのは、悲惨な事実に基づいてることから、「リアルさ」や「公証」ばかりを追いがちです。
でも、「リアル」で「公証の正確さ」だけを求めるなら、現地に行って収容所を見て歩き、生き残った人の話しを直に聞かなければ本当の「現実」や「公証」など分かるはずがありません。
ドキュメンタリーだって、結局のところ作り手の主観が入っているのです。
「アメリカ式の理想の父親像」というのはよく描かれるすでに使い古しのネタですが、この作品の父親像は「たくましくてマッチョで信念を曲げない正義の塊」みたいなアメリカ式の父親像とはぜんぜん違うのです。
だけど、「自分はこうあることができるか?」とすごく考えさせられます。
あ、あと、音楽がすごくよかったです。

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  1. 2004 年 11 月 24 日 17:33 | #1

    >「自分はこうあることができるか?」とすごく考えさせられます。
    特に父親の立場で見ると、かなり考えさせられます。
    自分にはとても無理だって痛いほどわかるから。
    でも、子供に対する愛の深さは同じなんです。
    だからとても切ない。

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