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別大完走記1

第57回別府大分毎日マラソンに参加してきました。
今回から3回に分けて、完走記をまとめていきます。
大丈夫です、もう大半は書き上げてありますから、今回はまちがいなく最後まで書き切ります。(苦笑)

もともと参加資格:2時間40分であったこの大会も、同時期に開催される東京マラソンの影響か、55回記念大会で2時間50分に制限が緩和されたまま、それが定着し、門戸が開かれました。
制限が緩和されたとはいえ、国内では4番目に格式高いレース、若手の登竜門として知られ、オリンピック選考の3レースからこそは漏れますが、世界陸上の選考会になる格式高いレースです。
本来なら2時間40分を切ってから参加したいところですが、背に腹は変えられません。
2007年は、東京マラソンにエントリーすらせず、照準をここ一本に絞ってきました。

別府大分毎日マラソン [参加資格]

  • マラソンは2時間50分以内
  • ハーフマラソンは1時間15分以内

2007年が始まった時点での僕の記録は、

  • マラソン 2:52’12 (2006 北海道マラソン)
  • ハーフマラソン 1:15’54 (2006 札幌マラソン)

でした。

参加資格取得までの道のり

2006 NYCマラソン
2006年のシーズンは、ハーフ、フルともに自己ベストを記録し、上り調子のまま年末のNYCマラソンを迎えることができました。
しかしフルマラソンに向けて十分な練習が積めていないまま迎えたNYCマラソンでは、前半果敢にハイペースで突っ込みサブ40を狙うも、後半脚が持たず痙攣を繰り返し、やっとの思いでサブ3という結末。

2007 東京マラソン
その後の東京マラソンで、再び走る喜び、楽しさを再発見するも、ここから僕の長く辛いスランプが始まりました。

2007 洞爺湖マラソン(DNS)
2007年のシーズンが始まっても、大会にエントリーするモチベーションすら得られない日々が続きました。
惰性で練習を続ける毎日。

2007 サロマ湖100kmマラソン
そんな流れを断ち切ろうと、思い切って出場したサロマ湖100kmマラソンで、粘りの走りでサブ9を達成し、市民ランナーグランドスラムを成し遂げました。
しかし、サロマでやっと上り調子になってきた気持ちとは裏腹に、練習不足で酷使した肉体へのダメージは深刻で、やはり思うように練習の成果が出ない日々が続きました。

2007 札幌国際ハーフマラソン
サロマ2週間後の札幌国際ハーフマラソンでは、1時間25分もかかりました。

2007 北海道マラソン
結局、疲れが抜けないまま迎えた2007北海道マラソン。
今年は9月開催とのこともあり、冷涼なコンディションできっと記録が狙えるはず、ここでサブ40を達成して、別大へ弾みをつける、そんな意気込みで臨んだはずでした。
しかし、9月なのにまさかの30℃。
給水に当たったのか、お腹を壊してレース中に初ピットイン。
散々な思いで3時間を切ることもできず、完走することで精一杯という結果。
別大参加への道のりは、シーズン半ばにしてがけっぷちに立たされたのでした。

2007 ANA北京国際マラソン
海外マラソンでタイムを狙うということのリスクは、昨年のNYCマラソンで痛いほどわかっていたはずでした。
しかし、2007年の最大目標であった2時間50分という記録が出せていません。
自ずと北京国際マラソンの位置づけが変わってきました。
フラットで高速なコース、今回は冠スポンサーでもあるANAのツアーで参加と言うこともあり、事前準備などに奔走する必要はありません。
「北京で記録を狙うしかない。」
そう思っていた矢先、3週間前にコース変更の報が届きました。
オリンピックとほぼ同じコースであろうと予測される北京国際マラソンのコース。
オリンピック1年前に下見を兼ねてそのコースを実際に走る、それが一番の楽しみであり、このツアーの売り文句でもあったはずです。
それが、人民代表大会開催のためにスタート地点の天安門広場が使えなくなり、コースの大幅変更を余儀なくされたというのです。
もう諦めの境地です、文句を言っても始まらない。
しかし、諦めきったあとさらに追い討ちをかけるように報道された、北京オリンピックマラソンコース決定の報には、もう呆れて笑うしか無かったですね。
なんだ、端から違うじゃんと(笑)
そんなこんなで気負うことなく、練習の一環、40km走として走った北京国際マラソンでしたが、リラックスして走れたことが良かったのか、2:49’10のPBが出てしまいます。

つくばマラソンDNS
本気じゃなくてこれだから、きちんと狙えばもっと短縮が望めるはず。
欲が出てきました。
この頃です、東京出張の折に国立競技場での激走トレーニングに参加したのは。
小出道場卒業生や、最終選考まで残った経験のある裏モニター生、その友人たちなどからさらに広がっていくラン仲間の輪。

正直、北海道にいると、練習は基本独りです。
もちろん、仲間は沢山いますし、一緒に練習することもあります。
しかし、追い込むときはいつだって独りです。
でもここ東京では、国立競技場、織田フィールド、皇居他にも沢山の場所にいつもランナーが溢れています。
同じ志を抱き、同様の走力を持つライバルたちがひしめき合っています。
パッキーさんが飲み会の際に僕に言ってくれた一言、

「一樹君も、つくばで記録出して、みんなで一緒に別大に行こうよ」

これが僕の心に火をつけました。
みんなと練習したい、みんなと競い合いたい、そしてみんなで喜びを共有したい。
別大へは、日本陸連の公認記録がないと参加できません。
つくばマラソンにエントリーしました。

でも僕の右ふくらはぎは、北京国際マラソンで肉離れを発症していたのです。
気持ちだけが高まり、痛みを無視して練習を続けました。
肉離れなんかじゃない、ちょっとした筋肉痛だ、すぐに治ると。

つくばを1ヵ月後に控え、恒例メニューの30kmタイムトライアルがやってきました。
室内練習場つどーむで独りで実施した30kmタイムトライアル。
最後の数キロは脚を引きずって、走りきることもできませんでした。
患部はすっかり腫れあがってしまっていました。
この期に及んでやっとスポーツ整形にかかり、肉離れを発症していることを確認し、リハビリを開始しました。

つくばに間に合うのだろうか、いや間に合わないことは頭ではわかっていました。
でも別大への道が閉ざされてしまうことを、理解することはできませんでした。
つくばで壊れてもいい、別大まではまだ時間が残されるはずだから。
自暴自棄になりかけ、怒られもしました。

以前、札幌国際ハーフへ初参加をかけて、やはり1時間18分と言う参加標準記録のクリアを狙っていた時期に、京都シティハーフを左足の腱鞘炎で断念したことがありました。
怪我を治して背水の陣で挑んだ仙台国際ハーフ。
1時間17分57秒という、わずか3秒差で参加資格を手にしたあの激走・劇走。

しかし、つくばを諦めると、別大に間に合うレースはありません。
何か手は無いだろうか。
必死で考えました。
海外レースですが、IAAF/AIMS公認の北京国際マラソンのタイムで本当にエントリーできないのだろうか。
大体、自己ベストが海外レースと言う人もなかなかいないのでしょう。
調べてみても前例が見当たりません。

もうダメ元で、別大の大会事務局に問い合わせを入れました。
翌日、毎日新聞の担当者から折り返し連絡があり、事情を伝えたところ「ぜひ参加していただきたいので、陸連担当者と調整します」という前向きな返事がもらえたのです。
1~2週間後には正式に参加を認めるので、その旨を北海道陸上競技協会に伝えて、参加承認を貰って手続きしてくださいとの連絡を貰いました。

パッキーさんがかけてくれた何気ない一言が、僕をここまでしつこくエントリーに拘らせる原動力となり、参加承認へと繋がったのでした。
これで、怪我をおしてつくばに参加する無茶を犯す必要はなくなりました。

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